吉野邦昭はこんな人

「ドクター吉野」こと、「使える記憶術インストラクター」吉野邦昭のプロフィールやストーリーです。

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吉野 邦昭(よしの くにあき)

10万部突破のベストセラー『イラスト記憶法で脳に刷り込む英単語1880』著者
使える記憶術インストラクター

超一流大学出身者などエリートの一部の人達に伝わる記憶法を、9歳から80歳のお年寄りまで1万人以上に伝授。TOEIC対策講座では、スコアが400~600点と低迷していた受験生に1日200個ペースで苦労なく単語を暗記させ、9週間で150点アップ、16週間で265点アップなど、英語が得意になった受講生が続出。また、合格率約35%の国家試験を1週間後にひかえた「落ちこぼれ」達に、たった1日の直前対策講座で89%の合格率を達成。あきらめていた課長職に昇格、一橋大学大学院合格、転職成功など、短期間で多くの受講生の人生を変え「記憶の救世主」と慕われている。

「一人の落ちこぼれもつくらない」「記憶する楽しさと簡単さを、一人でも多くの人へ」というモットーを胸に、京都出身らしい優しさと関西人のオモシロさを併せ持つ講義は、元技術者らしく論理的で「まるで方程式を解くように明解」と好評。NHK『Rの法則』、フジテレビの『めざましテレビ』や文化放送、bayfmなどメディア出演多数。

吉野邦昭Story

子供の頃

あまり体力がなく運動が苦手で、一方、工作が大好きなオタク少年でした。
父が職人という事もあり、夕食の後に、グライダー、プラモデルに鉄道模型(HOゲージと言えば分る方がいらっしゃいますでしょうか)を一緒に作っていました。

中学に入ると、電子工作やアマチュア無線、そしてパソコンの前身である”マイコン”でプログラムを作っていました。
当時は、フロッピーディスクすら世に存在していませんでしたから、相当マニアックな世界です。

ですから、学校の友人と放課後に遊ぶという事はなく、ちょっと年上の人達に交じって遊ぶ、変わった少年でした。

教育に関する原体験

両親は”教育熱心”で、いろいろなことを体験させてくれました。
ただ、決して”受験熱心”ではなく、たまに思い出したように「勉強しなさい」と言う程度でした。

両親は受験など経験していませんから、
「問題集を買ってきてやりなさい」程度しか、勉強の”やり方”を言えないのです。

暗記モノは「年号はゴロ合わせっていうのがあるから、本屋さんで探してきなさい」とお金をくれたのですが、
「鳴くよウグイス平安京」と「イイ国つくろう鎌倉幕府」程度しか覚えられず、学校の成績はパッとしません。

これが記憶術との出会いでしたが、「なんか使えないなぁ」と言うのが感想でした。
中学~高校では、工作が趣味という事もあり理系志望でしたが、数学で赤点を連発し進級が危ぶまれるほどでした。

両親は受験熱心ではありませんが、良い環境に触れるように、よくやってくれたと思います。

そんなお陰で、大学受験時代は、東大や京大など超一流大学への合格者を多数輩出する塾に通い、
灘高や洛星、東大寺と言う関西の超進学校(関東の開成や麻布、鹿児島のラサールレベル)の友人が沢山いました。

その中の一人、Y君に「もし今から、今まで見たこともない外国語の単語を覚えろと言われたら、
吉野の半分の所要時間で倍の点数を取る自信がある」と言われ、
ちょっとくやしく、ちょっとうらやましかったのが、私が講師として活動する原体験になっています。

彼らは、各科目の勉強をする前に『勉強法を学ぶ』のです。
別の友人が、化学の元素記号がズラーッと並んだ『周期律表』の覚え方を教えてくれました。
100個近い元素記号の表を、30分ほどで完ぺきに覚えられたのは衝撃でした。

その時に覚えた周期律表を、30年以上経った今もほぼ全部覚えています。
まさに、“使える”記憶術との出会いでした。

浪人して通った予備校では、先生が
「数学は暗記だ!良問を2000問覚えれば、京大医学部の合格レベルを十分越えられる」と言っていました。

数学が暗記科目だとは、当時は意味がわかりませんでした。
浪人時代に1000問少しは覚えましたが、超進学校出身者が知っている『学習法』を垣間見ただけですから、春に桜は咲きませんでした。

なんとか滑り止めの工学部に入学しましたが、数学が苦手ですから進級は毎年ギリギリです。
ただ、”人生の思い出”と、これを機会にちょっとは勉強しておこうと、大学院受験を目指したのです。

工学部の大学院入試は、”微分積分”バリバリの数学や専門科目が10科目以上あるのですが、
その時に、予備校の先生が言っていた、「数学は暗記だ!」というセリフを思い出しました。

そこで、教授や大学院生に片っ端から相談し、オススメの問題集を教えてもらい、
解答を見ながらひたすら解き方を覚えていったのです。その結果、席次28番から19人ゴボウ抜きで10人の合格枠に入ることができたのです。

実はこの時、クラスメイトで”秀才”と呼ばれていた友人が不合格だったのです。
彼は、コツコツと問題集を”解答を見ずに”解いていたのです。

私も、予備校で「数学は暗記だ!」と言われるまでは、
親からも、友人からも、「数学は回答を見ずに解くと実力が付く」と聞いてきていました。

これが、勉強をする前に『勉強法を学ぶ』ということの威力を思い知った出来事でした。

脱サラ~様々なセミナー受講

大学院を修了し、グローバルなメーカーに就職しましたが、
エンジニア時代は隣に座っている上司に「出張しても良いですか?」と話しかけられず、
メールでやり取りするほどの話し下手でした。

いろいろ縁あって脱サラしたのですが、当然苦戦。

「もっと自信満々の自分にならなければ!」「営業が出来ないと商売にならない!」と、
自己啓発、能力開発、営業のいろいろなセミナーに、小さな家を1軒買えるくらいのお金をつぎ込みましたが、ことごとく落ちこぼれてしまいました。

その中で、個々の素質を見つけ出し、開花させる理論と出会い、
私が講師に向いていると診断が出たのをきっかけに、講師にシフトしました。

現在は、私のセミナーやコンサルティングの時にこの理論を活用することで、
受講生やクライアント様に飛躍的な成果を持ち帰っていただくことに寄与しています。

マジック(手品)も勉強しました。
マジックは、口下手な私でもお客さんがビックリしてくれるのです。
マジックというハンデをもらいながら、気の利いた一言を付け加える練習ができ、段々とスピーチが上手になっていきました。

セミナーも講演も、『お客様に楽しんでいただいてナンボ』という私の姿勢は、この時に確立しました。

記憶術との出会い

40歳を超えたあたりから、『記憶』に不安を持つようになりました。

皆さんの周りにも、会話の中に、『あれ』や『これ』が増えてきたとか、
モノを取りに行こうと2、3歩歩くと「何を取りに行くんだったっけ?」と思い出せないという方がいらっしゃいませんか?

そんなことをあちこちで話していると、ある方(やはりこの方も、東大出身です)が
”記憶術のタネ明かし”を教えてくださいました。記憶術と四半世紀ぶりの再会です。

実際にやってみると自分のアタマでもスラスラ出来るのです!
「これが大学受験の時に垣間見た、超進学校に通う仲間たちのヒミツか!」と、探し求めた宝物に出会えた瞬間でした。

この感動と、飛躍的に時間効率を高める技法をひとりでも多くの方にお伝したいと思い(これならニーズがあるのでバカ売れすると思って)記憶術セミナーを始めたのです。

記憶術で自分に自信が持てるようになる

今までに『東大生がビックリしてイスから転げ落ちるような記憶術』を、
9歳から80歳までの方1,000人以上にお伝えしましたが、
たった2日間で全員にマスターしていただいております。

そして、記憶術が出来るようになるだけでなく、
「自分に自信が持てるようになりました」「夢をもてるようになりました」と言う方が続出しています。

私と一緒に自己啓発や能力開発セミナーで落ちこぼれた仲間も受講してくれ、
「これでセミナージプシーから卒業できる!」と嬉しい感想を残してくれています。

記憶術でセミナージプシーが卒業できる??
実は、記憶術をマスターしていただくために、
私は『脳(アタマ)の使い方』『脳(アタマ)の躾け方』をマスターしていただくことに注力しているからなのです。

記憶術から受験対策へ

学生の時に買った『年号の語呂合わせ暗記』、なんだかなぁとガッカリしたのを今でも覚えています。
実は、ゴロ合わせは、記憶術の本領を発揮していないのです。

サラリーマン時代、会社でTOEIC受験が必修となったので、
まずは単語力をつけようと記憶術の本やセミナーを探したことがありました。
しかし、記憶術セミナーでは『記憶術』は教えてくれるのですが、
受験に必要な単語を覚えるためには、自分で『下ごしらえ』をしなければならず、実用的ではないことがわかりました。

また、単語暗記の本は、ゴロ合わせベースなので覚えにくく、また、単語数が中途半端なのです。

そこで、TOEIC対策の英単語暗記セミナーを開発しました。
英単語を、1日に200個ペースで覚えていただきます。

これくらい覚えられるようになると、忘れるのが怖くなくなります。
「忘れても、また、覚えればいいんでしょ!」ってなれるのです。

そんな、『あなたの問題を解決する”使える”記憶術』を、
もっともっと開発し提供していきたいと思っています。

笑って聞いて、タメになる

技術者+京都出身=『関西人らしく笑いの絶えない一方、技術者らしく論理的で「まるで方程式を解くみたいに明快」と好評をいただいています。
(その上マジシャンもやっていましたから!)

隣に座る上司にメールで話しかけていた私が、まさか講師になるとは夢にも思いませんでしたが、今では天職だと思っています。